
『御手洗毅』医師から経営者へ
キヤノンの実質的創業者・御手洗毅は、現役産婦人科医という異色の経歴を持つ経営者です。彼は医師の視点から「人間中心の経営」を実践し、健康管理の徹底や実力主義を導入して組織の礎を築きました。 「右手にカメラ、左手に計算機」を掲げた多角化戦略や、自立した個人を尊ぶ**「三自の精神」**は、今なお同社のDNAとして息づいています。慈悲を込めた試作機「カンノン」から世界ブランド「Canon」へ。技術への執念と人間愛を融合させた彼の哲学は、現代のビジネス界にも不変の指針を示しています。
『御手洗毅』医師から経営者へ、異色の転身がもたらしたもの
1. はじめに
日本の高度経済成長期を支えた経営者たちは、その多くが技術者出身、あるいは生粋の商人でした。しかし、キヤノン(当時は精機光学工業)の初代社長を務めた御手洗毅は、そのどちらでもありません。彼は現役の産婦人科医でした。
医師としての冷静な観察眼と、生命を尊ぶ倫理観。これらが精密機械という、わずかな狂いも許されない製造業の世界と融合したとき、日本を代表するグローバル企業「Canon」の礎が築かれました。御手洗毅の歩みを知ることは、単なる成功談を読むことではありません。それは、「人間を真ん中に置いた経営」の原点を探る旅でもあります。
2. 黎明期:精機光学工業の誕生と「KWANON」の夢
御手洗毅は1901年、大分県に生まれました。北海道帝国大学医学部を卒業後、東京・目白に「御手洗産婦人科病院」を開業します。そんな彼がカメラの世界に関わることになったきっかけは、義弟である内田三郎から「国産の高級カメラを作りたい」という相談を受けたことでした。
当時、世界最高峰のカメラはドイツの「ライカ」や「コンタックス」であり、日本製品は到底及ばない「安かろう悪かろう」の代名詞でした。
精機光学研究所の支援
1933年、内田三郎や吉田五郎らによって「精機光学研究所」が設立されます。御手洗は当初、資金面や精神面での支援者という立ち位置でしたが、彼らの情熱に打たれ、次第にその運営に深く関与するようになります。
伝説の試作機「カンノン」
彼らが最初に作り上げた試作機は、観音菩薩の慈悲にあやかり**「KWANON(カンノン)」**と名付けられました。レンズは「カシャパ(迦葉)」と呼ばれ、ロゴマークには千手観音が描かれていたのは有名な逸話です。この仏教的なネーミングから、後に世界に響き渡る「Canon(キヤノン:聖典、正典)」へと昇華していく過程に、御手洗のグローバルな視点と教養の深さが伺えます。
3. 社長就任と「家族主義」の提唱
1942年、戦時下の混乱の中で、御手洗毅は正式に精機光学工業の社長に就任します。医師としての職を辞し、本格的に経営の舵取りを行う決断をしたのです。
ここで彼が打ち出したのが、キヤノンのDNAとも言える**「家族主義」**でした。
医師だからこそ見えた「健康な組織」
御手洗は、「会社は運命共同体である」と考えました。
健康診断の徹底: 医師であった彼は、社員の健康を第一に考え、当時としては異例の社内健康診断や医療施設の充実を真っ先に行いました。
実力主義の導入: 家族主義というと「甘え」を想像しがちですが、御手洗の考えは違いました。「家族だからこそ、個々が自立し、能力を最大限に発揮しなければならない」と考え、学歴に関係ない昇進制度や、能力に応じた処遇をいち早く取り入れました。
4. 戦後の危機と「右手にカメラ、左手に計算機」
終戦後、日本の製造業は壊滅的な打撃を受けます。キヤノンも例外ではありませんでした。しかし、御手洗は占領軍(GHQ)の兵士たちが日本のお土産としてカメラを強く求めていることに気づきます。
輸出への注力
「これからは世界を相手に商売をしなければならない」と確信した御手洗は、徹底した品質管理を命じます。1949年には、当時不可能と言われた明るさを誇る「セレナーレンズ」を開発。これが世界中で絶賛され、「キヤノンのカメラはライカに匹敵する」という評価を確立しました。
多角化の決断
しかし、御手洗はカメラ一本に依存する危うさも予見していました。「技術の進歩は速い。カメラだけで一生食べていけると思うな」と社員を叱咤し、次なる一手として事務機器分野への進出を決定します。
これが、後にキヤノンを世界最大の事務機器メーカーへと押し上げる**「右手にカメラ、左手に計算機(ビジネス機器)」**という多角化戦略の始まりでした。1964年には世界初の電子卓上計算機「キヤノーラ」を発表し、現在のコピー機やプリンタ事業の礎を築いたのです。
5. 御手洗毅の経営観:三自の精神と共生
御手洗毅が遺した最大の功績は、製品そのものよりも、むしろその**「企業文化(哲学)」**にあります。
三自の精神(さんじのせいしん)
キヤノンの社員が今も大切にしている指針が「三自の精神」です。
自発: 何事にも自ら進んで積極的に取り組む。
自治: 自分自身を管理し、責任を持って行動する。
自覚: 自分の立場、役割、状況をよく認識する。
これは、医師として「自分の体は自分で守る(セルフケア)」という考え方にも通じます。依存するのではなく、自立した個人が寄り添うことで最強の組織が作られるという、御手洗流の人間学でした。
「共生」への萌芽
御手洗毅の思想は、後の会長である御手洗冨士夫氏(甥)によって「共生(きょうせい)」という企業理念に昇華されます。毅は生前、「企業は社会の公器である」と説き続けました。利益を追うだけでなく、社員、顧客、地域社会、そして国を超えて世界の人々と共に生きる。このグローバルな倫理観こそが、キヤノンが世界中で愛されるブランドとなった理由です。
6. 医師としての眼差しが変えた労働環境
御手洗毅の経営が特異だった点は、経営判断の根底に「医学的知見」があったことです。
完全週休二日制への挑戦
1960年代、まだ日本の多くの企業が休みなく働いていた時代に、キヤノンは業界に先駆けて週休二日制の導入を模索しました(完全実施は1967年)。 「疲れ果てた体では、良いレンズは磨けない。良いアイデアは浮かばない」 という彼の言葉は、現代のワークライフバランスの先駆けと言えます。
全員参加の経営
また、彼は「朝礼」を非常に大切にしました。全社員の顔を見て、自分の声を直接届ける。そこには、大病院の院長が回診で患者一人一人の容体を見るような、細やかな気配りと観察力がありました。
7. 時代を超えて響く御手洗毅のメッセージ
御手洗毅は1984年、83歳でその生涯を閉じました。彼が去った後も、キヤノンは進化を続け、デジタルカメラ時代、そしてAIや医療機器の時代へと突き進んでいます。
彼が現代の私たちに遺したメッセージを要約するなら、以下の3点に集約されるでしょう。
「専門外」を武器にせよ: 医師であったからこそ、既存の「カメラ屋」の発想に縛られず、人間中心の経営ができた。
「品質」は嘘をつかない: 世界で通用するためには、妥協のない技術追求が唯一の道である。
「人」を資産と考えよ: 機械を動かすのは人であり、その人が健康で意欲的でなければ、どんな優れた設備も宝の持ち腐れである。
8. おわりに:未来を創る「慈悲」と「技術」
御手洗毅の生涯を振り返ると、そこには常に「温かい心」と「冷徹な論理」が同居していました。試作機「カンノン」に込めた慈悲の心と、世界市場を席巻するための徹底した品質管理。この一見相反する要素を高い次元で統合したことこそが、彼の真骨頂でした。
現在のビジネス環境は、VUCA(変動性、不確実性、複雑性、曖昧性)の時代と呼ばれています。先行きが見えない今だからこそ、御手洗毅が説いた「自発・自治・自覚」の精神は、私たち一人ひとりの働き方を見直すための羅針盤となるはずです。
医師が処方箋を書くように、彼は日本の産業界に「健康で持続可能な企業」という処方箋を書きました。その効き目は、今もなお、世界中のキヤノン製品とそこで働く人々の心の中に生き続けています。
前田 恭宏
前田です
