B2B/B2C専門 電材通販サイト デンザイゼウス
Denzaizeus Logo
ログイン

パスワードを忘れた方

アカウントを作成するだけで、すぐに見積依頼が可能です。アカウントをお持ちのお客様には、表示金額よりお得な金額が提示されることも多いです。是非サインアップの上、当サイトをご利用ください。
初めて DENZAI-ZeuS | 電材ゼウス をご利用ですか?
日立創業者・小平浪平が貫いた“技術自給”の狂気と誇り

日立創業者・小平浪平が貫いた“技術自給”の狂気と誇り

26/02/05 07:38

日立製作所の創業者・小平浪平は、明治末期の「海外製品頼み」の状況に危機感を抱き、1910年に「技術の自主独立」を掲げて創業しました。わずか5馬力の国産モーターから始まった挑戦は、**「和・誠・開拓者精神」**という日立精神へと昇華され、日本を代表する巨大企業へと成長する礎となりました。 「物を作る前に人を作る」という信念で人材育成を重んじ、私利私欲を排して社会に貢献し続けた彼の経営観は、単なる利益追求を超えた「技術者の誇り」そのもの。その志は、今も世界のインフラを支える日立のDNAとして脈々と受け継がれています。

「5馬力の奇跡」から始まった。

日立創業者・小平浪平が貫いた“技術自給”の狂気と誇り

【はじめに:プロローグ】

今や世界に30万人以上の従業員を抱え、ITから鉄道、エネルギーまでを網羅する巨大企業・日立製作所。その始まりが、山奥の鉱山にある「ボロボロの修理工場」だったことを知る人は、今の時代どれほどいるでしょうか。

明治末期。日本の近代化を支えていた機械のほとんどは、欧米からの輸入品でした。故障すればなす術もなく、外国の顔色をうかがう日々。そんな屈辱的な状況に、一人の男が静かに、しかし激しく怒っていました。

「なぜ、日本人は自分の国の機械を作れないのか」

その男の名は、小平浪平。 彼は周囲から「無謀だ」「外国製を買った方が早い」と冷笑されながらも、たった3台の小さなモーターから、日本の工業化という巨大な歯車を回し始めました。

今回のコラムでは、日立グループのDNAに刻まれた「技術の自主独立」という思想を、創業者・小平浪平の壮絶な生き様とともに紐解いていきます。彼が遺した言葉は、変化の激しい現代を生きる私たちに、進むべき道を指し示す羅針盤となるはずです。

1. 誕生から「日立」の産声を上げるまで

官から民へ、そして鉱山へ

1874年、栃木県に生まれた小平浪平は、東京帝国大学(現・東京大学)工科大学電気工学科を卒業しました。当時のエリートの王道は官吏(公務員)でしたが、彼は現場主義を貫き、民間企業を渡り歩きます。

転機となったのは、1906年。久原鉱業所(後の日本鉱業)の日立鉱山に工作課長として赴任したことです。当時の日本の鉱山機械は、そのほとんどがアメリカやドイツからの輸入品。故障すれば修理に数ヶ月を要し、部品一つ取り寄せることが困難な状況でした。

「5馬力モーター」という奇跡

小平は、海外製品の修理を繰り返す中で確信します。「日本が真に独立するには、機械を自前で作らなければならない」。

1910年、彼は周囲の反対や懐疑的な目を押し切り、鉱山内の修理工場を母体として日立製作所を設立しました。その記念すべき第一号製品が、わずか5馬力(3.7kW)の誘導電動機(モーター) 3台でした。これが、後に世界を席巻する日立の、そして日本の重電産業の第一歩となったのです。

2. 小平浪平を支えた「日立精神」の根幹

小平が遺した最大の功績は、製品そのもの以上に、今も日立グループに脈々と流れる**「日立精神」**の言語化にあります。彼は以下の3つを経営の柱としました。

① 和(わ)

単なる仲良しグループではなく、「個々の専門性が高いプロフェッショナルが、共通の目標に向かって議論を尽くし、一致協力すること」を指します。小平は、独断専行を嫌い、組織としての調和を重んじました。

② 誠(まこと)

「誠実であること」。顧客に対して嘘をつかない、約束を守る、そして技術に対して真摯であること。小平は、目先の利益よりも、納品した機械が故障なく動き続けるという「信頼」を何よりも優先しました。

③ 開拓者精神(パイオニア・スピリット)

「他人の真似をするな、自分たちで道を作れ」。小平が最も情熱を注いだのが、この**「技術の自主独立」**です。欧米の模倣に甘んじる当時の風潮に対し、彼は常に「国産技術による自立」を叫び続けました。

3. 経営観:技術を「国益」と結びつける

小平浪平の経営思想を読み解くキーワードは、**「実業をもって国に報いる」**という強い使命感です。

独自の「人材育成」哲学

小平は「物を作る前に人を作る」という考えを徹底していました。1910年の創業とほぼ同時期に「徒弟養成所(現在の日立工業専修学校)」を設立したのは、その象徴です。 高度な技術は、優れた人間性を持つ技術者の手によってのみ生み出される。彼は教育をコストではなく「投資」と捉えていました。

逆境を好機に変える決断力

第一次世界大戦により海外からの機械輸入が途絶えた際、日立には注文が殺到しました。しかし小平は、ただ稼ぐだけでなく、その利益をすべて「研究開発」と「設備投資」に注ぎ込みました。 「景気が良い時に準備をし、景気が悪い時に技術を磨く」。この先見性が、戦後の高度経済成長期における日立の飛躍を支える土台となったのです。

4. 小平浪平の人間性とエピソード

小平は非常に質素で、寡黙な人物として知られていました。

  • 「私利私欲の排除」: 彼は生涯、日立の株を大量に保有して私財を肥やすことをしませんでした。「日立は社会の公器である」という考えが根底にあったからです。

  • 現場へのまなざし: 社長になっても、現場で油にまみれて働く従業員への敬意を忘れませんでした。彼が工場を視察する際は、役員と話すよりも、若い技術者の作業をじっと見守ることを好んだと言われています。

    5. 現代に語り継ぐべき小平浪平の教訓

    小平が没して70年以上が経過した今、私たちが彼から学べることは何でしょうか。

    1. 「本質」を見失わない: 流行のビジネスモデルに飛びつくのではなく、「社会が真に必要としている技術は何か」を問い続ける姿勢。

    2. 長期的な視点: 短期的な四半期決算の数字だけでなく、10年、20年先を見据えた技術の蓄積。

    3. 自立の精神: 外部環境(他国や他社)に依存しすぎず、自らの核心的な価値(コア・コンピタンス)を自社で守り抜く強さ。

    結びに代えて

    小平浪平は、1951年にこの世を去る直前まで、日立の行く末を案じていました。彼が小さな修理工場からスタートさせた事業は、今やIT、エネルギー、インフラ、ヘルスケアを網羅する世界的な巨大企業へと成長しました。

    しかし、どれほど規模が大きくなろうとも、日立の原点はあの「5馬力モーター」に込められた**「自分たちの手で、世の中を便利にしたい」**という無垢な志にあります。

    「技術の日立」というブランドは、小平浪平という一人のエンジニアが抱いた、あまりにも純粋で、かつ強靭な「思想」から生まれた結晶なのです。

Profile picture of 前田 恭宏
前田 恭宏
前田です

質問投稿
このページの内容はいかがだったでしょうか?
ログイン

パスワードを忘れた方

アカウントを作成するだけで、すぐに見積依頼が可能です。アカウントをお持ちのお客様には、表示金額よりお得な金額が提示されることも多いです。是非サインアップの上、当サイトをご利用ください。
初めて DENZAI-ZeuS | 電材ゼウス をご利用ですか?