
ブレーブスの心を胸に──オリックス・バファローズを愛する理由
阪急ブレーブス時代からオリックス・バファローズを見守ってきたファンの歩みを描くコラム。西宮球場での福本豊の疾走に心を奪われ、ブレーブスの誇りを胸に抱き続けてきた筆者は、球団の身売りや合併といった変化の波を経ても「ブレーブス魂」は生き続けていると語る。95年の「がんばろうKOBE」優勝、近鉄との合併、日本一の歓喜──すべてが積み重なり、今のバファローズがある。名前や色が変わっても、関西の誇りとファンの愛情は永遠に続く。
「ブレーブスの心を胸に──オリックス・バファローズを愛する理由」
気づけば、もう半世紀近く、私はこのチームを追いかけている。
オリックス・バファローズ。今でこそ関西を代表する球団のひとつとして堂々たる存在感を放っているが、私にとってはその名の裏に、いつまでも消えない“もう一つの名前”がある。阪急ブレーブス。あの赤いユニフォーム、あの「ブレーブス魂」は、いまも私の心の中で息づいている。
■阪急ブレーブスという誇り
私が初めて西宮球場に足を運んだのは、まだ小学生のころだった。
夏の陽ざしが眩しく、スタンドの芝生席から見えるユニフォームの「H」の文字が、子どもながらにやけに格好よく見えたのを覚えている。福本豊が一塁からスタートを切り、二塁へ一直線に滑り込む。そのたびにスタンドがどよめき、「走る野球って、こんなに面白いのか」と胸が高鳴った。
阪急ブレーブスは、ただ強いだけのチームではなかった。どこか、職人の集団のような落ち着きと、ひとりひとりの確かな個性が光るチームだった。山田久志の「アンダースローの芸術」、加藤英司の勝負強さ、福本のスピード。どの選手も、華やかではなくとも誇り高かった。
そして何より、チームには“阪急”という鉄道会社らしい堅実さがあった。無理をせず、派手さも追わず、それでも確実に勝つ。その姿勢に、多くの関西のファンは共感した。
■ブレーブスからオリックスへ――変化の波
しかし1988年、あの知らせが届いたとき、私は本当に信じられなかった。
「阪急ブレーブス、オリックスに身売り。」
新聞の見出しを何度見返しても、胸の奥がざわついた。あの誇り高きブレーブスが、企業の名前を変える。ユニフォームが変わる。球団の歴史が、ひとつ終わってしまう。
当時は、ファンの間でも賛否が渦巻いた。
「オリックス・ブレーブス」という新しい名前になったものの、“阪急”という言葉が消えた寂しさは、どうしても拭えなかった。西宮球場の外野席で、古い帽子をかぶりながら試合を見ていた年配の男性が、「わしらはブレーブスファンや」と言っていた姿が、いまも記憶に残っている。
だが、球団が変わっても、選手たちは変わらなかった。
ブーマーの豪快なホームラン、石嶺和彦の勝負強さ、そして新たなスター・イチローの登場。オリックスという新しい名の下でも、確かに“ブレーブスの血”は流れ続けていた。
■95年・96年、栄光のオリックス
1995年の春。あの阪神・淡路大震災が起きたとき、チームの本拠地・神戸も大きな被害を受けた。そんな中で、オリックスは「がんばろうKOBE」を胸に掲げ、ファンと共に戦い続けた。
あの年の優勝は、ただの野球の勝利ではなかった。
“神戸を元気づけたい”という想いが、選手のプレーから溢れていた。監督・仰木彬の采配、イチローの全盛期、田口壮・ニール・藤井康雄らが織りなす攻撃。スタンドで流れる「SKY」が、夜空に響いたとき、涙をこらえきれなかった。
1996年の日本一は、ブレーブス時代から見続けてきたファンにとっても、特別な瞬間だった。
「阪急の時代に続く、あの誇りが帰ってきた」――そう思えた。ユニフォームの色は変わっても、心の中のチームは、確かに“あの頃”とつながっていた。
■合併と再出発――揺れるバファローズの時代
2004年、またしても激震が走った。オリックスと近鉄の合併。
新しいチーム名は「オリックス・バファローズ」。
正直に言えば、最初は戸惑いと寂しさしかなかった。ブレーブスからオリックスへ、そして今度は“バファローズ”へ。名前だけを見れば、私が愛してきた「ブレーブス」の面影は、どんどん遠ざかっていくように感じた。
しかし、時間がたつにつれて、わかってきたことがある。
このチームの根底には、確かに「関西の誇り」が流れているということだ。
阪急、西宮、神戸、そして大阪ドーム。場所も名前も変わっても、ファンの情熱と地元への愛は、決して途切れなかった。
合併直後の混乱期を経て、チームは再び地道な努力を積み重ねた。
中嶋監督のもとで2021年にリーグ優勝を果たし、2022年には悲願の日本一。
その瞬間、涙を流したブレーブス時代からの古参ファンは少なくなかったはずだ。あの時、心の中で誰もがつぶやいたに違いない——
「ブレーブスの魂は、生きていた」と。
■変わっていくもの、変わらないもの
オリックス・バファローズは、いまや若いファンにも人気のチームになった。
吉田正尚、山本由伸、宮城大弥、山﨑颯一郎。スターたちが次々と現れ、京セラドームのスタンドはいつも満員だ。球団の運営も洗練され、グッズもスタイリッシュになった。
それでも、私の心の奥には、今もあの西宮球場の風が吹いている。
小さなスタンド、芝生席の子どもたち、打球音が山々にこだまするあの感じ。
オリックスがどんなに新しい姿に生まれ変わっても、私にとってのチームの原点は、いつも“阪急ブレーブス”にある。
しかし同時に、私は今のバファローズにも深い愛着を抱いている。
なぜなら、このチームは“変わりながら、つなげてきた”からだ。
阪急からオリックスへ、オリックスからバファローズへ——そのすべての過程に、ファンの声と祈りがあった。選手たちがグラウンドに立つたび、歴史のバトンは確かに受け継がれている。
■未来へ——“ブレーブス魂”を胸に
私はもう、年季の入ったファンだ。
昔のユニフォームをクローゼットから取り出すと、少し黄ばんだ「H」の刺繍が、なんとも言えない懐かしさを運んでくる。球場に行けば、若いファンたちが「バファローズ最高!」と声を張り上げる。その声を聞くたびに、私は微笑む。
——そうだ、それでいい。
チームの名前が変わっても、ユニフォームが変わっても、ファンの熱はいつの時代も同じだ。
ブレーブスの時代に育まれた誠実さと誇り。
オリックスの時代に生まれた挑戦と革新。
そして、バファローズとしての一体感と未来への希望。
そのすべてが混ざり合って、いまのオリックス・バファローズがある。
私たち古参ファンの役目は、その歴史を語り継ぎ、若い世代に「ブレーブス魂」を伝えていくことだろう。
■終章:愛のかたち
野球は、勝敗だけのスポーツではない。
球団の歴史、ファンの思い、地域との絆——そのすべてが積み重なって、チームの“魂”が形づくられる。
オリックス・バファローズという名前の裏には、阪急ブレーブスの血が確かに流れている。
それは、球場の芝に残る記憶であり、応援歌のメロディの中に宿る記憶だ。
これからもチームは変わり続けるだろう。
だが、私の中ではいつまでも——
赤い帽子の「H」と、青い「Bs」のロゴが、静かに並んでいる。
ブレーブスも、バファローズも、どちらも“私のチーム”なのだ。
そして、これからもずっと、この胸の中で応援し続けるだろう。
がんばろう、オリックス・バファローズ。
そして、ありがとう、阪急ブレーブス。

前田 恭宏
前田です
